山田ゴメスのブログ
突然ですが…「親友」っていますか?
突然ですけど…あなたには「親友」と呼べる人がいますか?
「友」について語る際、重要なことが二つあると、ぼくは考えています。
一つは、
「人によって『友』という概念は違ってくる」
…ということ。もう一つは、
「おたがいの『環境の変化』から、ずっと『友』という関係を維持するのはむずかしい」
…という真実です。
たとえば、この数年…ぼくのことを
「親友」
…と呼んでくださっている男性がいます。
しかし、誠に申し訳ないんだけれど…ぼくはその男性のことを「親友」だとは思っておらず、単なる
「仕事仲間の一人」
…でしかありません。
ぼくは彼のことをほとんど知らないし(※結婚しているかどうかすら知りません)、正直これ以上知りたいとも思わない…。
はたして、彼がぼくとの交流のどこらへんにスポットを当てて
「友」の頭に「親」を加えている
…のか、理解に苦しむのですが、この妙な居心地の悪さこそが
「『友』という概念の相違」
…から生じるチグハグさなのでしょう。
もちろん、こういった
「歪(いびつ)な関係」
…は「逆」──つまり、
「ぼくが親友だと思っているヒト」が
「ぼくを親友だとは思っていない」ケースも
十分あり得るわけで…だからこそ根が慎重なぼくは迂闊に “知人” のことを「親友」…どころか
「友だち認定」
…すら、できなかったりするのです。
たとえば、ぼくに
「コレコレこんなすごいヤツがいる〜」
…みたいな話をする際、やたら
「オレの親友なんだけど〜」
…と、まるで慣用句のごとく前置きしてしまうようなヒトとたまに出くわしますが…ぼくはそういう
「楽観的な感性」
…の持ち主が(決して嫌味ではなく)心底からうらやましかったりしますし、仕事や草野球などで知り合って、仲良くなったヒトたちは…むしろ「友(だち)」より
「仲間」
…で括(くく)ったほうがしっくりくるのになぁ…とも思います。
では、「親友」とは──
一体どんな「友」のことを言うのでしょう?
ぼくは、
「おたがいの環境の変化という困難を乗り越えてなお継続している、真に損得抜きで付き合える友人」
…のことを「親友」と呼びたい。
そして、そこまでの「境地」に達するまでには…最低でも10年以上の年月が必要であり、極論すれば──その揺るぎない関係は
「籍を入れない結婚」
…に近いのではないでしょうか。