山田ゴメスのブログ
「飽きないもの」はだいたいにおいて「退屈なもの」
とある大変著名な作家さんが、20年以上も前に発表した、
とある長編小説に…以下のような、じつに素晴らしい一文をお書きになっておりました。。
「この世界において、退屈でないものには人はすぐ飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きている余裕はない。たいていの人はそのふたつを区別することができない。」
──なるほど!
「退屈でないものには人はすぐ飽きる」
──そりゃ、マジでマジで…
「まさしくおっしゃるとおりだよなぁ…」
…と、深く感銘を受けました。
「飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ」
…と。さらには
「たいていの人は『飽きる』と『退屈』
──そのふたつを区別することができない」
あなたの周囲に…仮に、食べ物に例えるならば……そうですね、このような
「牛丼」
…みたいな人はいませんか?
もし、心当たりがあるなら…常に新しい刺激的な存在ばかりに目を向けるのではなく、
そんな「既知の安堵」を得られる存在にも、あらためて注目してみてはいかがでしょう?